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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2556号 判決

控訴人 柴田秀信

被控訴人 辻義三郎 外一名

主文

一、原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

二、被控訴人らの控訴人に対する収去明渡の請求を棄却し、金員支払を求める請求を却下する。

三、訴訟費用中控訴人と被控訴人らとの間に生じたものは第一、二審を通じて全部被控訴人らの連帯負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人に関する部分を取消す。被控訴人らの請求はこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実主張並びに証拠の提出、援用認否は左記のほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

被控訴人ら代理人は、

一、本件土地一帯が防火地域に指定されたことを被控訴人らが知つたのは昭和三〇年頃である。

二、本件土地の賃料は、昭和三〇年七月に一ケ月金二万七五〇〇円に、昭和三二年一月に一ケ月金三万〇二五〇円にそれぞれ値上げされた。

三、控訴人による原判決別紙目録第二記載の鉄筋及びブロツク造り建物(以下これを本件建物という)の建築着手乃至その続行が被控訴人らに対する著しい不信行為たる所以に付き被控訴人らは次のとおり敷衍して主張する。

(イ)  控訴人は本件土地賃貸借が木造建物の所有を目的とするものであることを知悉しながら敢て本件建物の建築に着手したのである。右の事実は控訴人において契約所定の借地期間よりも長い期間に亘る借地期間を貧らうとしたことを示すものと謂うに充分である。蓋し鉄筋及びブロツク造りの建物の如き堅固建物の所有を目的とする借地権の存続期間は借地法の規定により特約のある場合最短三〇年、特約のない場合六〇年だからである。

(ロ)  控訴人による本件建物の建築は、昭和三三年五月一三日建築中止の仮処分の執行を受けてはじめて中止されたものである。

(ハ)  控訴人は昭和三三年以降今日に至るまで未だに本件建物の収去を為さない。

(ニ)  被控訴人らは本件土地のうち東南側約一〇〇坪につき、昭和三三年一一月中に占有移転禁止の仮処分の執行を了していたのであるが、昭和三七年一月中旬控訴人が該土地を第三者七、八名に自動車置場として転貸してこれを占有せしめている事実を発見した。よつて被控訴人らは同年一月二三日に執行吏による点検を為し控訴人の仮処分命令違反行為を現認し、同時に該違反中止方を執行吏から警告したのである。然るに該警告後もなお控訴人はこれを継続している。これを以つてこれを観れば、控訴人の当初の契約違反の建築着工が如何に悪意で発足したものであるかゞ明らかである。

四、甲第三号証の土地賃貸借契約書の第六項は同契約書第一項に謂う「木造建築の条件の下に賃貸する事」を強調したものに過ぎず、有償であれ、無償であれ、又如何なる場合であれ、堅固建物の建築についての被控訴人らの承諾の義務を規定したものではない。

五、控訴人主張の後記三の事実はこれを認める。

と述べた。証拠〈省略〉

控訴代理人は、

一、控訴人は本件建築に着手する約一年位前に本件土地一帯が防火地域に指定された事実を知つた。

二、被控訴人ら主張の前記二の事実は、これを認める。

三、控訴人を申立人、被控訴人らを相手方とする防火地域内借地権処理法に基く申立事件は現在東京地方裁判所に繋属している。

四、堅固建物建築工事には、左記理由により被控訴人らの承諾があるから、被控訴人らは契約違反を理由とする解除権を有しない。

(1)  控訴人と被控訴人らとの間でとりかわされた借地契約書(甲第三号証)の(一)によれば、控訴人の借地権は、木造建物所有のためのものであることはいうまでもないがその(六)には「契約期間中は第一条の定めに依り本建築は出来ない。もし本建築希望ある時は改めて甲(被控訴人らの被相続人辻つるを指す)の承諾を要する。」と約定されており、その趣旨は控訴人が木造建物以外の建物を建築せんとする場合には控訴人はその旨を申出で、被控訴人らの承諾を得なければならないということである。而して控訴人が合理的な理由に基いて木造建物以外の建物即ち堅固建物を建築した旨申入れた場合には、被控訴人らは、控訴人に対し、合理的な理由(賃貸借契約関係を継続し難いような事情)がない限り、承諾を与えなければならず、かゝる場合被控訴人らは控訴人が堅固建物を建築したことを捉えて契約違反に名をかりて賃貸借契約関係を解消することはできないのである。

(2)  控訴人は、昭和三二年五月頃被控訴人らに対して係争地が建築基準法にもとずいて防火地域に指定された結果建築物が制限されたことを説明したうえ堅固建物を建築することについて承諾を求めたところ、被控訴人等はなんら合理的な理由がないのに承諾を拒絶した。控訴人が為した堅固建物建築に対する承諾要求は、一に係争地を防火地域とする都市計画上の――公共上の――必要と実益とに基いたものであり控訴人は自己の利益だけを追求して借地上建物の種類、構造を変更しようとしたのではない。即ち控訴人の右要求は正に合理的な理由にもとずいたものである。これに反し、被控訴人らは、防火地域の指定による建築制限に乗じて、控訴人の――社会取引上正当な需要に従つた――堅固建物の建築に干渉し或いは借地の即時引上げ策を講じ、或いはまた、借地期間満了後の借地権不更新の効果を狙い、ひたすら自己の利益のみを追求して承諾を拒絶したのである。なお賃貸借契約に於いては賃貸人は契約が存続している限り賃借人をして目的物の使用収益を達せしめるために、積極的に協力する義務を負担するこというまでもないが、控訴人は、当時の建築法令によつて耐火建築物を建築することに拘束されてしまつたのであるから、被控訴人らは控訴人が右の法的拘束のもとにおいて借地権の目的を実現できるよう協力すべき筋合であり、その協力とは、本件の場合にあつては、堅固建物の建築について承諾を与えることに外ならない。

(3)  右のとおりであるから被控訴人らは信義則に従つて控訴人の申入を承諾する義務があるのであり、これを拒否することは権利の乱用として許されないものであり、いゝかえれば、控訴人の申入に対し被控訴人が拒絶してもそれは拒絶とならず、被控訴人から堅固建物の建築について承諾を得たことになるのである。

従つて被控訴人らは堅固建物の建築が契約違反であるとして賃貸借を解除する権利を有しない。

五、「事情変更の原則」の適用により本件借地契約の内容は、非堅固建物所有のための借地権から堅固建物所有のための借地権に改訂されたものである。「事情変更の原則」を適用する要件として、一般には次の三つの点が挙げられる。

その一は事情の変更が当事者の予見せずまたは予見することができないものであること、その二はその変更の発生に当事者の責がないこと、その三は契約を文字どおりに適用することが信義則に反すること、である。これを本件について考えてみると、

(イ)  第一の予見可能性の点についていえば、係争地域が防火地域と指定されて木造建物を建築することができなくなることは、契約当初である昭和二二年六月当時において、当事者は勿論のこと何人と雖も予見できなかつたことである。

(ロ)  第二の帰責事由の点についていえば、防火地域の指定は、全く公共的な見地に立つて行はれるものであるから、この点控訴人には何等の責任がない。

(ハ)  第三の信義則の点についていえば、木造建物の建築が禁止されているのに「木造建物所有を目的とする借地権であるが故に、契約どおりに木造建物を建築せよ」と強要することは信義衡平の理念に反するばかりでなく、公共の福祉の増進をはからうとする前示法律の趣旨にももとる。仮りに、被控訴人らの解除権行使が有効であるとしても、被控訴人らは、自ら係争地上に堅固建物を建築するか、またはその目的で賃貸するか二つの途のいずれかを選ばねばならない。

以上の点からみて本件の場合「事情変更の原則」を適用する要件が全くそなわつていると信ずる。

しかして「事情変更の原則」の適用される場合にあつては、第一次的にはなるべく当初の法律関係を修正して存続せしめ、第二次的には不衡平なる結果を除却するために従前の法律関係を解消する、というのが判例及び学説の動向であるが、本件にあつては本項冒頭に述べた如く、本件借地契約の内容を非堅固建物所有のための借地権から堅固建物所有のための借地権に改訂するのが最もよく信義則ないし衡平の理念に合致するものと信ずる、

と述べた。証拠〈省略〉

理由

一、原判決事実摘示一乃至三の事実及び四、五の事実中被控訴人ら主張の書面が控訴人に到達したことは当事者間に争がない。

二、よつて先ず、防火地域の指定による事情の変更が賃貸借契約の解除原因となるかどうかを判断するに、昭和三年法律第四〇号防火地区内借地権処理法によれば防火地区内においては木造建物の建築は許されず、木造建物の所有を目的とする借地権を有する者が其の土地に新たに建物を築造せんとする場合は法は第一に賃貸人との間に借地条件に関する協議又は調停が調うことを期待しており、それが調わないときは当事者(即ち賃貸人又は賃借人の双方を含む)の申立により裁判所が防火地域内借地委員会の意見を聴き借地条件の変更その他の措置を命ずることができるものとされており、即ち裁判を以て借地条件を変更して賃借人をして建物を建て得る如くするか又は賃貸人をして対価を払はしめる等適当の条件を定めて借地権の消滅を命ずるかの何れかの措置を為すことを規定する。従つて同法の規定によれば、木造建物を所有することを目的とする賃借地が防火地区に指定されたこと自体を以て、法律は当然に賃貸借契約を終了させる立場を採らないと同時に、これを所謂事情変更と見て当事者に対し、当然に解除権乃至契約内容を変更する形成権を与える立場をも採つていないことは極めて明かと謂うべきである。従つて本件土地が防火地区に指定されたことのみでは被控訴人らが解除権を取得しないこと明らかであるから、被控訴人らがこれを事情変更なりとして為した契約解除の意思表示は何等効力がないと云うべきである。

三、次に被控訴人らの無断転貸を理由とする契約解除の主張について案ずるに、控訴人が被控訴人らに無断で本件土地の東南側約一〇〇坪を清水建設株式会社に使用せしめたことは控訴人の認めるところであるが、原審証人森慶造及び当審における控訴人本人の各供述、当審における被控訴人辻義三郎本人の供述により成立の真正を認め得る甲第一三号証の記載、右供述により被控訴人ら主張どおりの写真と認められる甲第一四号証の一、二によれば、控訴人が右会社に対し本件土地のうち前示約一〇〇坪を使用させたのは、右会社が本件土地と道路を隔てた筋向いの場所に建築するにつきその材料置場としてであつて、期間は昭和三二年五月から昭和三三年八月までに亘り、その間相当額の賃料も徴したが、それは本来好意的、一時的の転貸であることが明らかであるからこれによつて賃貸借当事者間の信頼関係が最早維持し難い程に破壊されたものとは云い得ない。従つて被控訴人らは控訴人の右無断転貸を捉えて本件賃貸借契約を解除することはできないものと云うべきであるから被控訴人らが之を理由として為した契約解除の意思表示も亦無効と云わざるを得ない。

四、次に控訴人に著しい不信行為ありとして為した被控訴人らの契約解除の主張について考察する。

原審及び当審における控訴人本人の供述とこれによつて真正の成立を認め得る乙第一七号証の一ないし九、成立に争のない甲第三、四号証の各記載及び当審証人斎藤忠男の証言によれば、控訴人は織物雑貨販売業を営む者であり、その営業の拡大に備えて昭和二二年六月本件土地を賃借したのであるが、其後営業が思わしくなかつたので本件地上に建物を建てることなしに経過してきたところ昭和三二年五月頃漸く木造建物を建築しようとして建築士斎藤忠男に相談したところ同人の説明により本件土地が防火地域で鉄筋建築でなければ建てられないことを知つたため当初の木造建物建築計画を捨て同建築士と相談して本件土地上に地下一階地上五階屋階付きの建坪五四坪余のビル一棟を建築する計画を樹て被控訴人らに対しその承諾を求めたところ結局拒絶されたこと、そこで控訴人は暫らくの間建築を見送つていたが賃料の支払も加重するので(後示認定参考)昭和三三年二月鉄筋ブロツク造三階建、建坪一四坪余の建物一棟即ち当初計画のビルよりは遥かに小規模の建物を建てる計画を樹て被控訴人らに無断で、建築基準法上の所要の手続を経たうえ株式会社辰村組に請負わせて同年三月下旬頃工事に着手し、その建築途上において工事を中止しているのが本件建物にほかならないことが認められる。

ところで、木造建物の所有を目的とする借地につき防火地域の指定が為された場合前記処理法がこれを以つて賃貸借終了の原因としないと同時に当事者の協議、調停又は裁判によつて借地条件を変更して借地権を存続せしめるか乃至は適当の条件を以てこれを消滅せしめるかの途を開いていることは既に説示のとおりであるから、その反面として借地権者が右手続を経ることなしに当初の契約の内容に反して堅固な建物を築造することは契約違反として評価されることを免れないと云うべきである。従つて控訴人が前記建物の建築に着手したことは本件賃貸借契約に違反したものであり、而も前示認定したところによれば、右違反につき控訴人は充分な認識を持つていたことが明らかである。(尤も控訴人が被控訴人ら主張の如く借地期間をより長期にせんがために本件建物の建築に着手したものと認むべき証拠はない。)

しかしながら、

(1)  本件土地一帯が防火地域に指定されたのは昭和二六年三月一九日であるから被控訴人ら先代つる乃至被控訴人らが控訴人をして契約に定めた条件に従つて本件土地を使用せしめることが殆んど不可能になつたのは、即ち被控訴人らが法律上賃貸人としての義務を充分に果すことが出来なくなつたのは、客観的には、昭和二六年三月一九日からであり、又被控訴人らにおいて本件土地が防火地域に含まれるに至つたことを知つたのが昭和三〇年頃であることは同人らの自陳するところであるから、被控訴人らは遅くとも昭和三〇年頃以降は右防火地域の指定により、そのままでは従前の契約に基く建築は法律上これを為し得ない又為さしめ得ない事態に立到つたことを知つたものと推認される。しかるに当審における控訴人本人の供述及び成立に争のない乙第五乃至第八号証の一、二、第一八、第一九号証の各記載によれば、被控訴人ら先代乃至被控訴人らは昭和二六年三月一九日以降昭和三三年四月三〇日に至るまで控訴人から本件土地の賃料の支払を受けてきており而もこの間昭和三〇年七月には従前の賃料を一ケ月金二万七五〇〇円に値上げし、更に昭和三二年一月には一ケ月金三万〇二五〇円に値上げし(右二回に亘る値上げの点は当事者間に争なし)、のみならず昭和三三年三月には即ち前記認定の如く控訴人からのビル建築についての承諾要請を拒絶した後においてすら控訴人に対して同年四月一日以降の賃料を一ケ月金三万六二五〇円に値上する旨請求を為し、昭和三三年五月以降は本件賃貸借が解除されたとして賃料の受領を拒否していることが認められる。

(2)  前示認定の如く本件土地が防火地域に指定されたことにより、被控訴人と控訴人間の賃貸借は当然には終了しないのであるから、右契約の存続する限り、法律上、被控訴人は賃料請求権を有しまた控訴人はその支払義務を負担することはいうまでもない。然し防火地域指定により建築基準法第六一条所定の建物以外の建物所有を目的とする賃借権(本件は正に之に該当する)がその本来の目的を達し得なくなつた場合に、右指定により当然には当該賃貸借契約は消滅しないとのことから、賃貸人は賃貸人として何等その権利の行使に制限を受けず一方的に賃料の値上をも為し得ると結論することは、防火地域の指定が当事者の意思乃至作為に関係のないこと、右指定により賃貸人側も法律上は契約本来の使用を為さしめる義務を履行し得ないと共に、賃借人側も契約本来の使用を為す権利を失ふことに鑑みると、極めて公平を失すると言はざるを得ない。

しかるに当審証人斎藤忠男、当審に於ける控訴本人竝に被控訴本人の各供述、成立に争のない乙第一号証、成立の真正を認める同第二号証、成立に争のない同第一五号証の各記載、本件記録上明かな原審繋属中に行はれた調停の経過、本件口頭弁論の終果を綜合すれば、被控訴人らは本件土地が防火地域に指定されたことを知りながら控訴人の借地条件変更の申出には全く応ずる意思がなくその申出を拒絶して来たこと明らかであるのみならず、被控訴人側より積極的に借地権を消滅せしめるための条件を提示し乃至前示借地権処理法による申立を為したことも全く無かつたことを認め得べく、而も他方に於いてその間賃料の値上は一再ならず為していることは既に認定した通りである。これに対し控訴人は昭和三二年には前記認定の如く鉄筋五階建の建築をしようとして被控訴人に対し借地条件変更の申出を為し結局拒絶されたが、昭和二二年に合計一五〇万円以上を出捐して取得した本件賃借権に執着し、また被控訴人の態度の変更することを期待しつつ、防火地域指定後も賃料値上も止むなしとして応じて来たことを認めるに十分である。なほ控訴人は従来賃料の延滞をした事実もない。(しかし以上の事実竝に本件弁論の全趣旨を参酌しても以上の事実乃至経過により本件土地賃貸借の条件を当事者の合意で堅固な建物所有を目的とするものに変更したものとは到底認めることが出来ない。)以上の認定によれば被控訴人らは本件土地が防火地域に指定されたことにより賃貸人としては何等不利益を被らず、防火地域に指定されたことは全く顧慮することなく賃貸人としての権利を行使実現して来たものであるのに対し、控訴人は防火地域指定により契約の目的は法律上達成されなくなり、(従つて被控訴人らとしても法律上契約に定めた本来の履行を為し得ないことになつたのである)、而も賃借人としては恰も防火地域の指定なきと同様の状態に置かれて賃料を支払つて来たと謂うべきである。而も前示認定の通り被控訴人に於いては借地条件変更の意思は全くなかつたのみならず積極的に賃借権消滅の協議を控訴人に対して申出でたことも前記借地権処理法による申立をもしなかつた点を考慮すれば、控訴人が調停乃至借地権処理法による申立を為さなかつたこと(但し本件建築を仮処分により停止された後に調停を申立て、本訴提起後に於いて借地権処理法による申立を為したことは成立に争のない乙第一五号証、同第一六号証により之を認め得る)も明らかであるが、これは深く責むべき態度とは謂い得ない。

(3)  成立に争のない甲第六号証の一、二の記載、当審証人中田直清、深山卯太郎、原審及び当審における控訴人本人の各供述及び成立に争のない乙第九、第一〇号証中の各供述記載部分を総合すると、控訴人は被控訴人らから昭和三三年五月七日に到達の書面(甲第六号証の一の内容証明郵便)によつて本件建物の建築を中止して本件土地を原状に復すべきことを要求されるや、右建築工事を請負わしていた前記辰村組に対して即日右工事を中止すべきことを電話したこと、辰村組は之に応じて右工事を中止することにし、たゞ危険乃至災害の防止のため建築途上の建物につき当然施すべき必要最少限度の措置だけをその後二、三日に亘つて行つたことが認められる。原審証人佐藤淳、当審証人新野尾善九郎は控訴人が前記書面による前記要求を受けた後も右工事が続行されているのを目撃した旨供述しているが、右両証人の目撃したのは辰村組が自己の責任においてしていた建築工事中止に伴う前記の爾後措置としての仕事であつたことが推測されるから、右供述は採用することを得ない。他に前記認定に覆して本件工事が被控訴人らの主張する如く昭和三三年五月一三日の建築中止の仮処分の執行によつてはじめて中止されたものと認めるに足る証拠はない。従つて控訴人の本件建築工事は被控訴人の請求に応じ素直に中止したものと認め得る。

以上(1) 乃至(3) に於いて認定した事情並に本件建物の坪数規模が賃貸の土地(一二五坪)に比して僅少な点等を参酌考慮すれば、控訴人において木造建築に非ざる本件建物の建築に着手したことは法律上契約違反であり且つ控訴人に故意があつたことは既に認定した通りであるが、この契約違反の一事に因つて被控訴人らが本件賃貸借の解除権を取得したとすることは著しく公平の原則乃至信義則に反すると謂うべきである。本判決事実摘示中被控訴人ら主張の三の(ハ)、(ニ)の如き事実は、仮令かゝる事実がありとしても(被控訴人ら提出援用の証拠によれば該事実は認められる)、それらはいずれも被控訴人らが控訴人に対しその著しい不信行為を理由として昭和三三年五月一〇日到達の書面を以つて本件賃貸借契約解除の意思表示をした後のことに属するから前記の結論を毫も左右し得るものではない。

されば控訴人に著しき不信行為ありとして為した被控訴人らの契約解除の意思表示も亦その効力を生じないと解すべきである。

五、右のとおりであるから解除によつて本件賃貸借契約が終了したことを前提とする被控訴人らの控訴人に対する本件建物及び原判決別紙物件目録第三記載の建物(この建物の存在、所有関係は争がない)の収去、土地明渡の請求は爾余の判断を為すまでもなく失当であつてこれを棄却すべきである。尤も右建物の建築が違法であることは説示の通りであり従つて控訴人に於てその建築の続行を為し得ないことは勿論であるが、本件土地に関し控訴人より被控訴人らを相手方として昭和三四年六月二三日防火地域内借地権処理法第二条に基く申立を為し現に東京地方裁判所に係属中であることは当事者間に争のない所であるから、建築を中止されている本件建物及び目録第三記載の建物についても右処理法の手続によつて賃借権と共に一括して解決せらるべきものと解するを相当とする。

六、次に賃料(被控訴人らは契約解除後の賃料相当額の損害金を併せ請求するが右契約解除が認められない場合は賃料自体を請求するものと認めるのが相当である)の請求について判断する。被控訴人が控訴人らに対し昭和三三年五月一日以降の賃料債権(但しその全額についてか否かはこれを措く)を有することは既に認定したところによつて明らかである(前記四の(1) の判示参照)。そして成立に争のない乙第一九号証、同第八号証の記載と当審に於ける控訴本人の供述を綜合すれば被控訴人らは昭和三三年三月二七日附書面を以て同年四月一日以降の本件土地の賃料を一ケ月金三万六二五〇円に値上する(従来は一ケ月三万二五〇円)旨の意思表示を為したこと、控訴人は同年五月に送金したところ被控訴人より前示認定の通り契約解除を理由に受領を拒絶されたため右五月分以降昭和三七年七月分を供託してあることが認められる。然し昭和三四年六月二三日に控訴人から防火地域内借地権処理法に基づく申立があり現に繋属中であることは前段認定の通りであるところ、本件賃貸借契約が終了しないことは前示の通りであるから、控訴人に於て認諾する場合は格別として然らざる限りは、右賃料は防火地域指定以後の期間に属するものであるから、右処理法の手続に於て一括して解決せられるべきものと解すべく、従つて此点については訴の利益を欠き不適法として却下すべきである。

七、よつて民事訴訟法第三八六条第九六条第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木忠一 谷口茂栄 宮崎富哉)

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